1. 「望まない転勤」が問題視される背景とは?
かつて日本企業における転勤は、人材育成やキャリア形成の一環として「当たり前」とされてきました。新しい地域での経験や幅広い業務を通じてスキルを磨くことが、将来的な管理職候補に必要だと考えられていたためです。しかし、近年はその前提が大きく揺らいでいます。
まず、社会環境の変化が大きな要因です。内閣府「令和5年版高齢社会白書」によると、日本の人口の約3割が65歳以上となり、家庭で介護や子育てを担う世代の負担は増加しています。そのため「家族から離れられない」「地域に根ざして暮らしたい」というニーズが強まっています。特に共働き世帯の増加により、配偶者のキャリアや子どもの教育環境を考慮した生活設計が不可欠となり、本人の意思に反する転勤は生活基盤を大きく揺るがすリスクとなっているのです。
さらに、転勤が理由で離職するケースも目立ちます。労働政策研究・研修機構(JILPT)の調査によれば、転勤経験者の約3割が「転勤はキャリアにプラスよりもマイナスだった」と回答しています。望まない転勤が従業員の定着率を下げ、企業にとっても人材流出につながっている現実は見逃せません。
こうした背景から、企業は「転勤は人材育成のために必要」という従来の前提を見直さざるを得なくなっています。今や転勤制度は、従業員の満足度や採用力に直結する“経営課題”として扱われる時代に入っているのです。
2. 転勤制度を見直す企業が増えている最新動向
近年、多くの企業が「望まない転勤」の見直しに踏み切っています。その背景には、労働力不足の深刻化と人材獲得競争の激化があります。特に優秀な人材ほど働き方の柔軟性を求める傾向が強く、転勤を強制する企業は採用市場で不利になりやすいのです。
実際、大手企業を中心に制度改革の動きが加速しています。たとえば、パナソニックホールディングスは2022年に「転勤を伴わない働き方」を選べる制度を導入しました。また、キリンホールディングスや資生堂なども同様に、社員の希望を尊重しながら勤務地を決定できる仕組みを整備しています。こうした流れは製造業や食品業界にとどまらず、金融、IT、サービス業など幅広い業種に広がっています。
加えて、テレワークの普及も転勤制度の見直しを後押ししました。コロナ禍を経て「勤務地に縛られず成果を出せる」という実績が積み重なり、従来の「転勤=必要不可欠」という考え方が再検討されています。実際、経団連「人事・労務に関するトップ・マネジメント調査結果」(2023年)では、会員企業の約6割が「勤務地限定制度を導入済み、または導入を検討中」と回答しており、制度の柔軟化は企業の競争力に直結する施策と位置づけられています。
このように、転勤制度の見直しは「一部の先進企業だけの取り組み」ではなく、今や広く浸透しつつある“時代の要請”となっています。
3. 社員満足度・採用力に与えるプラスの効果
「望まない転勤」を見直すことは、従業員の働きやすさだけでなく、企業の採用力やブランド力向上にも大きな効果をもたらします。
まず注目すべきは 社員満足度の向上 です。勤務地の選択肢が広がり、自分や家族の生活を優先できる環境は、従業員の心理的安心感を高めます。リクルートワークス研究所「全国就業実態パネル調査」(2023年)によると、勤務地限定制度がある企業では、社員の「仕事満足度」が平均で約1.3倍高い傾向が示されています。満足度の高さはエンゲージメントの向上につながり、結果として離職率の低下にも直結します。
次に 採用力の強化 です。求職者は求人票を見る際に「勤務地の柔軟性」を重視する傾向が年々高まっています。特に若手世代や子育て世代にとって、転勤リスクの少ない会社は魅力的です。また、シニア層や中途採用市場においても「住み慣れた地域で働ける」ことは重要な選択基準の一つです。こうした点で、転勤制度を柔軟化した企業は人材獲得競争で優位に立てるのです。
さらに、企業ブランドへの影響も見逃せません。「社員の生活を大切にする企業」というイメージは、顧客や社会からの信頼を高め、ESG経営やウェルビーイング経営の観点からもプラスに作用します。
つまり、「望まない転勤」の見直しは単なる福利厚生改善ではなく、採用・定着・ブランド戦略を一体的に強化できる施策だと言えるでしょう。
4. シニア人材の活用と転勤制度見直しの関係
転勤制度の見直しは、シニア人材の採用・活用にも直結します。高齢期の働き方を考える際、多くのシニアが重視するのは「地域に根ざして生活を続けたい」という点です。自宅や家族の近くで働ける環境が確保されていなければ、せっかくの経験豊富な人材も採用の段階で応募をためらう可能性があります。
特に、シニア層は 地域社会とのつながり を重視します。内閣府「高齢者の日常生活・地域社会への参加に関する調査」(2021年実施、2022年公表)でも、多くの高齢者が「できる限り住み慣れた地域で暮らしたい」と回答しています。こうした志向性を踏まえると、転勤を強制する制度はシニア人材にとって大きな障壁となるのです。
また、シニアの強みである「若手育成力」「業務改善の経験値」を企業が十分に活かすには、安定的な就業環境を提供することが不可欠です。転勤による生活基盤の不安定さは、せっかくの力を発揮する妨げになりかねません。逆に勤務地を限定できる制度がある企業では、シニア人材が安心して応募・定着し、長期的な戦力として活躍できる可能性が高まります。
さらに、転勤制度を柔軟化することは、多様な人材が働ける職場環境の実現につながります。若手や子育て世代だけでなく、シニアや介護を担う中高年層など、多様なライフステージの社員を受け入れる体制を整えることは、企業全体の持続的な成長にも資するのです。
5. 望まない転勤をなくすための実践的ステップ
転勤制度の見直しは「やるかやらないか」ではなく、段階的に進めることが現実的です。ここでは、人事部が取り組むべき実践的なステップを整理します。
ステップ1:現状把握と社員の声の収集
まずは、自社の転勤制度がどのように運用され、どの程度の社員に負担感を与えているかを明確にする必要があります。従業員アンケートやヒアリングを通じて、「転勤の受容度」「勤務地に関する希望」「家族状況に基づく制約」などを把握しましょう。データに基づく分析は制度設計の出発点となります。
ステップ2:勤務地限定制度や選択制の導入
次に有効なのは、勤務地を限定できるコースを新設することです。たとえば「全国転勤型」「地域限定型」を選べる制度を設ければ、社員がライフステージに応じて働き方を選択できます。実際、経団連の調査(2023年)では、会員企業の約6割が「勤務地限定制度を導入済みまたは導入検討中」と回答しており、今や主流の施策となりつつあります。
ステップ3:テレワークや出張での代替
テレワークの活用によって、必ずしも転勤しなくても業務遂行が可能なケースが増えています。拠点間の異動を減らし、必要な場合は短期出張で代替するなど、柔軟な働き方を取り入れることが現実的です。
ステップ4:管理職・人事部門の意識改革
制度を設けるだけでは不十分です。管理職や人事担当者が「転勤=育成」という固定観念から脱却し、成果や能力評価をベースにした人材育成を行うことが欠かせません。
ステップ5:制度運用後の検証と改善
制度導入後は、定着率・満足度・採用効果などの指標を定期的に測定し、改善を繰り返すことが重要です。特にシニア人材や子育て世代における効果を把握すれば、採用広報やブランディングにも活用できます。
これらのステップを踏むことで、転勤制度の柔軟化は「一時的な改革」ではなく、企業文化として根付かせることが可能になります。
6. まとめ|転勤制度の柔軟化が企業の未来を変える
「望まない転勤」を見直す流れは、一時的な流行ではなく、労働市場の構造変化に対応した必然の改革です。少子高齢化による人材不足、ワークライフバランス重視の価値観の浸透、テレワーク普及による働き方の多様化――これらすべてが、従来型の転勤制度を問い直す要因となっています。
企業にとっても、転勤制度の柔軟化は大きなメリットをもたらします。社員満足度の向上による離職率低下、採用力の強化、シニア人材を含む多様な人材の活用、さらには企業ブランドの向上といった成果が期待できるのです。特に経験豊富なシニア層が安心して働ける制度を整えることは、組織の知識や技術を次世代へと継承する基盤にもなります。
重要なのは、制度導入を「人材戦略の一環」として位置づけ、経営レベルで推進することです。単に勤務地を選べるようにするだけでなく、社員のライフステージに応じた選択肢を用意し、制度を継続的に改善していくことが、持続的な成長につながります。
いまや「転勤の柔軟化」は、働きやすさの象徴であり、企業の競争力を左右する重要な要素です。時代に即した制度設計を進めることこそ、未来の人材確保と企業成長のカギになるでしょう。
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