1. 終身雇用から「スクイグリーキャリア」の時代へ
かつての日本企業において、キャリアは「はしご(キャリアラダー)」に例えられてきました。新卒で入社し、年功序列の階段を一段ずつ上り、定年というゴールを目指す。この直線的で予測可能なモデルは、高度経済成長期の安定した社会構造には適していました。しかし今、その前提が根底から覆されています。
現在、世界的に注目されているのが「スクイグリーキャリア(Squiggly Career)」という概念です。これは英国のヘレン・タッパー氏とサラ・エリス氏が提唱した考え方で、直訳すると「ぐにゃぐにゃと曲がりくねったキャリア」を意味します。もはやキャリアは垂直に上るものではなく、横へ、斜めへと、個人の興味や環境の変化に合わせて柔軟に形を変える「曲線」へと変化しているのです。
なぜ今、この考え方が必要なのでしょうか。その背景には、テクノロジーの進化によるVUCA(変動性・不確実性・複雑性・曖昧性)の加速があります。リンダ・グラットン教授が『LIFE SHIFT(ライフ・シフト)』で提唱した「人生100年時代」においては、一つのスキルや一つの企業だけで生涯を完結させることは困難です。
企業側にとっても、一直線のキャリアを歩んできた均一的な人材だけでは、予測不能な変化に対応できなくなっています。むしろ、異なる業界や職種を渡り歩き、その都度学び直し(リスキリング)を繰り返してきた「スクイグリーキャリア」を持つ人材こそが、組織に新しい風を吹き込み、レジリエンス(適応力)を高める鍵となるのです。
参考: Helen Tupper and Sarah Ellis, The Squiggly Career (2020)
2. 多様な経験を持つ「曲折型人材」が組織にもたらす3つの資産
「一直線のキャリア(キャリアラダー)」を歩んできた人材が専門性を深める一方で、「スクイグリーキャリア」を持つ人材は、組織に異なる次元の強みをもたらします。彼らが保有する主な資産は以下の3点です。
1. 適応力とレジリエンス
異なる業界や職種を渡り歩いてきた人は、新しい環境に飛び込み、ゼロから成果を出すプロセスを何度も経験しています。この「変化への耐性」は、不確実な市場環境において最大の武器となります。過去の挫折や方向転換を乗り越えた経験は、困難な状況下でも折れない「レジリエンス(回復力)」として組織の精神的支柱となります。
2. イノベーションを生む「知の結合」
デヴィッド・エプスタイン氏は著書『RANGE(レンジ)』において、専門特化型よりも「幅(レンジ)」を持つ人の方が、複雑な問題解決に強いことを示唆しています。異業種の商習慣や異なる職種の視点を持つ人材は、既存の社員では思いつかないような「知の結合」を起こし、イノベーションの種を組織に蒔く役割を果たします。
3. 多様な視点によるメンタリング
曲折型のキャリアを歩んだ人材は、成功だけでなく「思い通りにいかない時期」の痛みも知っています。そのため、悩める若手社員に対しても、単なるスキル伝達に留まらない多角的なアドバイスや、心理的な安全性を担保する包容力を発揮できます。彼らの存在自体が、組織全体のダイバーシティ(多様性)を体現するモデルケースとなります。
参考: David Epstein, Range: Why Generalists Triumph in a Specialized World (2019)
3. 【実践】スクイグリーキャリア人材を効果的に活用する「業務分解」の秘訣
スクイグリーキャリアを歩んできた「多才な人材」を、従来の「メンバーシップ型(人基準)」の組織にそのまま当てはめようとすると、ミスマッチが起きやすくなります。彼らの真価を発揮させる鍵は、業務を細分化し、特定のミッションに紐付ける「ジョブ型」の視点による業務分解にあります。
業務分解によるマッチングの最適化
一見、自社の事業とは無関係に見える過去の経歴も、要素分解(デコンポジション)すれば、現在自社が抱える課題解決のピースになり得ます。例えば、「異業種での新規事業立ち上げ経験」は、単なる業界知識ではなく「ゼロから仕組みを作る力」や「ステークホルダーとの調整力」という汎用的なスキル(ポータブルスキル)として抽出できます。
以下の表は、従来型の人材活用と、スクイグリーキャリアを活かすための活用の違いをまとめたものです。
| 項目 | 従来型の人材活用 | スクイグリーキャリア対応型 |
| 評価基準 | 勤続年数・職種の一貫性 | スキルの多様性・適応力 |
| 業務アサイン | 既存の「役職」に人を当てはめる | 解消したい「課題(ジョブ)」に人を置く |
| 期待する役割 | 決められたルーチンの完遂 | 変化への対応・新たな視点の提供 |
| マネジメント | プロセス管理(マイクロマネジメント) | アウトカム管理(ミッション達成型) |
ミッションの再定義と「点」の連結
スティーブ・ジョブズ氏が提唱した「コネクティング・ドッツ(点と点をつなぐ)」のように、本人の過去の「点(経験)」を、自社の「未来(ビジョン)」へどう繋げるかは組織側のデザイン次第です。
人事が「この人は○○の専門家だ」と決めつけるのではなく、「この課題を解決するために、あなたのこの経験を貸してほしい」というプロジェクト型のオファーを行うことで、スクイグリーキャリアを持つ人材は驚異的なパフォーマンスを発揮します。この柔軟な業務設計こそが、人手不足を解消し、組織の業務効率化を加速させる最短ルートとなります。
4. 【育成】「教える・教わる」の垣根を超える。スクイグリーキャリアを活かした共創型育成
これまでの企業育成は、上司が部下に「正解」を教える「ティーチング」が中心でした。しかし、変化の激しいスクイグリーキャリア時代においては、誰が正解を持っているか分かりません。ここで重要になるのが、立場を超えて学び合う「共創型育成(コラボレーティブ・ラーニング)」の視点です。
「リバースメンタリング」で組織の代謝を上げる
スクイグリーキャリアを持つ人材は、特定の分野での深い知見(オールドスキル)を持つ一方で、新しい領域への挑戦を厭わない柔軟性を備えています。例えば、豊富なマネジメント経験を持つベテランが若手に「組織運営の勘所」を伝える一方で、若手から最新のデジタルツールやSNSトレンドを学ぶといった「リバースメンタリング」が自然発生する土壌を作りましょう。これにより、世代間の断絶を防ぎ、組織全体の知識レベルが底上げされます。
ラーニング・アジリティ(学習敏捷性)の伝播
キャリアの曲線を何度も描いてきた人々は、共通して「学び方」を知っています。新しい環境に適応するために何を優先して学ぶべきかという「ラーニング・アジリティ」が高いのです。彼らが組織に混ざることで、生え抜き社員にも「一つのスキルに固執せず、常にアップデートし続ける姿勢」が伝播します。
キャリア・オーナーシップの醸成
会社が用意したレール(ラダー)を歩かせるのではなく、社員一人ひとりが「自分は次にどの方向へ曲がりたいか」を考えるキャリア・オーナーシップ(主体的キャリア形成)を支援することも、現代の重要な育成施策です。
「この会社にいれば、自分の曲線(キャリア)をより豊かに描ける」と社員が実感できれば、それは単なる教育を超えた最強のエンゲージメント向上策となります。組織は「教育の場」から、多様なプロフェッショナルが互いの経験を交換し合う「成長のプラットフォーム」へと進化するのです。
5. 多様なキャリアを資産に変えるための、採用・受け入れ時の注意点
スクイグリーキャリアを持つ人材は、組織に大きな恩恵をもたらす一方で、従来の「同一性」を前提とした制度や評価軸とは相性が悪い場合があります。彼らのポテンシャルを「宝」として活かしきるためには、採用・受け入れ側の環境整備が不可欠です。
「一貫性」ではなく「再現性」を評価する選考基準
従来の採用選考では、「なぜ前職を辞めたのか」「職歴に一貫性がないのはなぜか」といった、過去の継続性を重視する傾向がありました。しかし、スクイグリーキャリア時代の選考では、「異なる環境で、いかに価値を再現してきたか」に焦点を当てるべきです。
・スキルマッピング: 履歴書上の職位ではなく、保有するポータブルスキル(論理的思考、プロジェクト管理、交渉力など)を可視化する。
・コンピテンシー評価: 未経験の領域に直面した際、どのように情報を収集し、立ち上がったかという「学習能力」を評価する。
柔軟な働き方を支える社内制度の整備
曲線的なキャリアを歩む人は、副業、リカレント教育(学び直し)、あるいは介護や育児といった個人生活のフェーズに合わせて働き方を調整したいというニーズを強く持っていることが多いです。
・フルフレックス・リモートワークの導入: 時間や場所に縛られない評価制度の構築。
・契約形態の多様化: 正社員という枠組みに拘泥せず、業務委託や短時間正社員など、個人のキャリアの曲線に合わせた契約オプションを用意する。
心理的安全性の確保とオンボーディング
生え抜き社員が多い組織では、異色の経歴を持つ人材に対して「異分子」として排他的な空気が流れるリスクがあります。受け入れ側には、「多様な視点こそがリスク回避とイノベーションに繋がる」というメッセージを経営層から発信し続けることが重要です。入社直後は、既存の社内ルールを押し付けるのではなく、彼らの「外部の視点」を積極的に拾い上げる面談(1on1)を頻繁に行うことが、定着率向上の鍵となります。
6. まとめ:予測不能な時代だからこそ、多様なキャリアが組織の強さになる
かつての日本企業において理想とされた「キャリアラダー(はしご)」のモデルは、今や一つの選択肢に過ぎません。テクノロジーが進化し、個人の価値観が多様化する現代において、「スクイグリーキャリア(曲線的なキャリア)」は避けて通れない潮流です。
多様な経歴を持つ人材を「一貫性がない」と切り捨てるか、あるいは「変化に強い貴重な資産」と捉えるか。この視点の差が、これからの企業の生存率を左右すると言っても過言ではありません。曲折型のキャリアを歩んできた人々が持つ適応力、多角的な視点、そして学び続ける姿勢(ラーニング・アジリティ)は、硬直化した組織に柔軟性とイノベーションをもたらす特効薬となります。
最後に、スクイグリーキャリア人材を「宝」に変えるためのポイントを振り返ります。
・評価の転換: 経歴の「一貫性」ではなく、スキルと適応力の「再現性」に注目する。
・環境の整備: 職務を分解し、柔軟な働き方や契約形態を許容するインフラを作る。
・共創の文化: 上下関係を超えて経験を交換し合う「教え合い」の土壌を育む。
変化を恐れず、多様な「曲線」を受け入れる組織こそが、次世代の優秀な人材を引き寄せ、持続可能な成長を実現できるはずです。まずは、目の前の履歴書にある「空白」や「方向転換」の裏側に隠された、真のポテンシャルに耳を傾けることから始めてみてはいかがでしょうか。
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